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三つの宝

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  道教は、人生は三つの宝の形成であると述べました。 精・気・神これらの三つの基本的な生命の根源は完全に量子化されるか、または生まれた時に完成します。私たちが年を取るにつれて時間の経過とともに私たちを死に至らせるべく衰え、枯渇する三つの側面です。 ハタヨーガは、アーサナ、プラーナーヤーマ、ムドラー&バンダ、およびサマーディの実践について述べました。これら四つの側面は、道教の精・気・神の考え方にうまく適合しています。 アーサナにおけるムーブメントは肉体のトレーニングのためではなく、精の育成のためのものです。精は生命の基本材料で、生命を調整し管理する幹細胞、体液、血液、ホルモンなどの概念が含まれています。ムーブメントの練習と共に、私たちは生命を維持するためにその循環と生産を増やすことによって精を育成します。 道教はまた、神に向かってアクセスするために精が気に変わることができると信じています。プラーナーヤーマ、ムドラー、バンダの操作です。それは呼吸と共に肉体的なレベルで働き、それは結局人が止息を見出すことを導きます。呼吸が止まった瞬間、本当の気(プラーナ)が生きてきます。だからこそ、ハタヨーガは、マハームドラー、マハーバンダ、マハーヴェーダ、ケーチャリームドラー、ヴァジローリームドラーなどの重要なムドラーを明確に述べています。ムドラーでハタヨーガは気を封印するだけでなく、気を意識(神)に結びつけました。道教の錬金術は気と神の統一を達成するために体の中央の経絡に沿って気を周回させることによって働きます。彼らはまた十分な気が神の明瞭さにつながると信じています。 気がいっぱいになるとマインドはエネルギーでいっぱいになり、サマーディが起こるためにはこれが必要になります。 ハタヨーガでのムドラーの育成は、人を「鍋」(クンバカ)として体を満たすために導きます。道教ではまた、体を鼎にするという同様の考えを持っています。 本質的に意識を養うために生命のエッセンスを純粋な気に変換するための道具 - このように、サマーディは自然に起こります。もしサマーディのパワーを持っていなかったら、マインドを養うものは何もなかったことになります。鼎の火からの純粋な気だけがマインドの糧になることができるのです。 多くのヨガティーチャーたちは、身体的な操作についての考えに限りがあり、それがもっと重要なことへの

ヨーガは自分の内側を見つめないし体にも意識を向けない

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  イーロン・マスクやジェフ・ベソスらがこぞって宇宙へ飛び立ち、近年、資産家たちの次の投資対象は宇宙に向けられているようだ。人はお金が有り余ると最後は宇宙を求めるしかなくなるのか。そもそも宇宙は人の原点回帰 なのだと思う。 タオ、道教の世界では天界に行くには、肝臓の持つ「魂」のエネルギーが必要だとされている。事実、魂というのは霊的なもの、微細な高次の意識の表れとされ、高次なレベルのエネルギーだ。タオのトレーニングを積んでいく過程で、魂は強力になり、神(シン)を乗せて天界へと旅立つ。 一方で肺の持つ「魄」は非常に物質的で低次なレベルであり、地に引き付けられる。この魄は自己中心的で、世界という大きな規模でものごとを見ることができず、宇宙の采配による人や物の関わりや結びつきといった、大局的なものの見方ができない。それは肉体と繋がっていて、死んでもこの地上を離れることができず、死んだ後も地に埋まった骨の中にいる。 前回のガンダム・ネタでも話したけれど、この地球では重力というものにより、人は身体が重く感じられ、地にひきつけられ、より物質的な自己としての存在感が増す。故に、体が重たい、頭が重たい、ここが痛い、あそこが苦しいなどと、さまざまな不満や不調を述べる。そして快適な肉体への欲求が生まれる。 要は地球にいると自己中心的になりやすい、ということか。自分の意識や身体に目を向けるということは一見素晴らしいことだけど、同時にそれはどんどん外の世界が見えなくなっていき、自分さえよければといった利己的な考えや執着を生む。内向的な人ほど神経質になりやすく、神経症に罹りやすいという説もある。 タオではこういった低次のレベルの魄のエネルギーでも、高次のレベルの魂へと昇華、変換していくことができる。 魂へと昇華するには、いかに身体を手放していくか。感じなくなるか。ヨーガやタオのトレーニングはその身体の感覚を手放していくトレーニングと言える。 しかしながら昨今のヨガクラスでは過剰なまでに身体へと意識を向け、身体のさまざまな部分をしっかりと感じ取るように促される。 もはや、正反対では?? 身体に十分意識を向けたら手放そう。 複雑な呼吸ができるようになったら自然な呼吸に戻そう。 作用があればそこには反作用が存在する。 ということは、常に行きたい方向とは真逆の方向へ行こうとすることが目的地に辿り着く秘