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光の路

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Light Path もしあなたが行なっていることがヨガだと思っていて、もしそれが一時的に練習するものであったり、習いたい時だけ習うものだったりすれば、それはかつての歴史の中で受け継がれてきたヨガとは違うもののようです。 時代は何処へ向かって行くのか、風の時代などと自由が謳われていますが、そんなものは無責任に混沌とした時代を揶揄するだけで真意が抜け落ちているようです。自由とは個人の半径3メートルの居心地の良さやエゴを言うものではなく、本気で命を賭けて勝ち取りに行くものです。 真の自由とは大いなる責任が伴います。 歴史の中でヨガとは常に師の下で、良い時も悪い時も日々繰り返し行うルーティン(という修行)だったようです。それは厳しくも、大いなる光に包まれて安心して自己を捧げる行為です。 したがってそこには自分の好みで師を選んだり、日によってルーティンが変わるということもなく、本当は師の方があなたを弟子に選ぶのです。 あなたは選ばれて初めて光を知ることになります。 その光こそが、暗闇を照らす道標であり、闇の中にいる自分自身がかつて光そのものであったという起源に再び戻るための道です。

陰の言葉の意味

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The Deeper Meaning of Yin 陰は深く、広い意味を持つ言葉です。本当に陰ヨガを理解したいと思えば、私たちは最初に「陰」という言葉の意味を理解する必要があります。中国の教えでは陰は地で、陽は天と言いますが、その意味は何でしょう。それは私たちが熟考するためのシンボルです。大地は広がっており、一か所に立ちその先を超えて見てみますが、大地の終わりがどこにあるかはわかりません。この広いオープンスペースは、地の素質です。地はすべて、すべての生命、生物と非生物を保持しています。昆虫、動物、鳥、植物、人間だけでなく、山、川、海が...すべてが地でサポートされています。地がなければ、この命のためのサポートはなにもありません。 天は生命の供給者で、それは命を与えるものです。そして水の源であるため、天は生命の源です。また、太陽の光と熱の源です。光、熱、水はすべての生命の基礎です。これら三つの組み合わせがなければ、命は継続することはできません。 陰ヨガは、体をより柔軟にすることではなく「スペースを大きく開く」ことです。それは身体の中で開発されますが、しかしそれはマインドのことではなく実質的な肉体の中で起こることです。 私たちは身体、感情、心の中に地の要素を探す必要が有ります。陰は統合し、蓄えられたエネルギーの力です。それができるようになったとき、心は自然に静かになります。瞑想は何の努力も必要としません。 陰ヨガでポーズを取ること、それはアーサナの中に均一性を保つことです。それはストレッチの中での均一性、呼吸の中での均一性、心の中での均一性です。私たちは、身体と呼吸の両方により多くのスペースを作るために、呼気に集中します。その見返りに、我々はより深く息を吸うことが出来ます。呼気はまたマインドを手放す訓練です。したがって、呼気は陰です。吸気は陽です。 陰のアーサナは、柔らかくいることではありません。柔らかさというのは、陰の一つの素質でしかありません。陰とはまた、固く、しっかり安定して密集することです。何かがより強固になるというのは陰の素質に起因しています。多くの人が陰ヨガをリラックスできて、女性的で、ソフトで、穏やかで...と説明しますが、これらは陰の完全な見識ではありません。陰は統一すること、根拠的なパワーを保存すること、保持すること、サポートを提供する

陰ヨガとは

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  Yin Yoga for Life Science 陰ヨガは性命に関する研究です。それは性命がどのように始まり、持続し、進化するかに関する科学です。性命は変化と進化の連続体です。ヨーガとは死を超えて死のない状態を達成しようとしているもので、道教はこれを不滅と呼びます。それは死を超えた宏大な存在です。 悟り、涅槃、究極の解放として見ることができます。ここで重要なことは、私たちの肉体の現れは未知の見えない力によるもので、性命は肉体を超えているということです。インドではそれをプラーナと呼んでおり、中国では気、または単にエネルギーと呼んでいます。この原始的な形のエネルギーは、宇宙全体をもたらすものです。それは割り切れないひとつの状態、太極と呼ばれる状態にあります。それは未完成であり、名前や形はありません。これが道と呼ばれるものです。これは、すべての精神的な修行者たちが熱心に見習おうとする人の本来の状態です。インドのハタヨギや中国の道士などスピリチュアルな修行に取り組むすべての人々が、この本来の状態に戻る方法を研究しています。 中国のヨギの場合、修行は『性』と『命』に分かれています。 性は人間の本性を示しており、孔子は、『人間の始まりは善(健全な善良さ)である』と言っています。この理解は、人間がすべての善を求める高次の呼びかけに発展する可能性を請け負っています。人間だけが知的な存在を追求する為に自己を犠牲にするでしょう。他の生き物はこのような性質を持っていません。性の発展は心の本質に関する哲学の塾考を通してなさなければなりません。それを瞑想と呼ぶことも出来ます。命の発展は、食生活、医学、身体的な運動によってなさなければなりません。 従って道教での見方による完全なる人間の潜在能力の発展はふたつのパートの実践にあります。ひとつの陰とひとつの陽です。外面的には持続している生命からより多くの時間を得て、内面的にはより進化した状態を達成します。 これが完了したのが『仙人』また『真人』の状態です。仙人はすべてを見ることができ、人生の明快さと光明さを知っている人です。彼はすべての性質を知っており、すべてが彼の支配の中にあります。これはヨーガの真のマスターを表しています。 陰ヨガは、このような道教の哲学、そして気功と太極拳のムーブメントに基づき身体理論を展開しています。この実践を通して、