光の路

Light Path

もしあなたが行なっていることがヨガだと思っていて、もしそれが一時的に練習するものであったり、習いたい時だけ習うものだったりすれば、それはかつての歴史の中で受け継がれてきたヨガとは違うもののようです。

時代は何処へ向かって行くのか、風の時代などと自由が謳われていますが、そんなものは無責任に混沌とした時代を揶揄するだけで真意が抜け落ちているようです。自由とは個人の半径3メートルの居心地の良さやエゴを言うものではなく、本気で命を賭けて勝ち取りに行くものです。

真の自由とは大いなる責任が伴います。



歴史の中でヨガとは常に師の下で、良い時も悪い時も日々繰り返し行うルーティン(という修行)だったようです。それは厳しくも、大いなる光に包まれて安心して自己を捧げる行為です。
したがってそこには自分の好みで師を選んだり、日によってルーティンが変わるということもなく、本当は師の方があなたを弟子に選ぶのです。

あなたは選ばれて初めて光を知ることになります。

その光こそが、暗闇を照らす道標であり、闇の中にいる自分自身がかつて光そのものであったという起源に再び戻るための道です。


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