街がボロボロの日本の都市と学習意欲の関係について

 先日、友人が私の街まで私を訪ねに来てくれました。

日本に居住して1年のそのアジア人の友人は果敢にも他県からひとりで車をレンタルし運転してきてくれ、ランチにでも行こうという流れになりました。

彼女は到着しランチが終了するまで終始、ドライブの道すがらに見た街の衰退ぶりに(とても純粋に)驚いていました。

「えーユキコ、なぜこんなところに住んでいるの?」

「引っ越さないの?」

「いつもここで何して遊ぶの?」

「街がボロボロじゃない?」

「なぜ人が全然いないの?」

と次々と(純粋な)疑問が彼女の口を衝いて出ていました。

実は私も以前から、海外から日本へと帰ってくる度に街を見ては、これはただの過疎化とか、地方だからとかいうことだけでは説明できないくらいの何かしらの暗澹たる気持ちを街に抱えるようになっていました。彼女の素朴な疑問の数々が、コロナ禍で2年間日本から出ていない私にその暗澹たる記憶を呼び起こしました。

多くの日本の地方が同じような状況で、そこに住んでいる人は段々とボロボロになっていく街の姿に気付いていないのだと思います。

街もですが、人の生活はどうでしょう。タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、香港、台湾、中国の友人の生活を毎日タイムラインで見ていますが、仮に彼らがかなり盛っていたとしても、明らかに生活水準が高い、もしくは20年前より高くなっていることがわかります。(シンガポールは富裕層が移住する国なのでもはやカウントに入れていませんが)そして人生を楽しみ謳歌している感が満載です。

かつて後進国と言われていたアジアの都市の多くがモダンでインターナショナルな都市へと変化を遂げ、気がつけば日本は遅れをとっているということに、どれほどの人が気づいているでしょうか。(もちろん同じ国でも地域により差はありますし、大都市がさらに大都市になることが必ずしも地球全体にとっていいこととは思えませんが)

しかしながらいまだに日本の方がアジア諸国よりも30年くらい進んでいるという幻想を抱いている日本人は少なくないと思いますが、いつの間にか、かつて後進国と呼ばれていた国の人たちが高い水準の生活をし、日本の街をみて「ボロボロ」と思うくらいに日本の社会は成長もなく疲弊していたのです。

もちろん国の成長とは何をもって成長となすのか、どの側面から見るかではまた違った答えが出ると思いますが、ひとつの例として実際に日本の所得はすでに2015年にお隣の韓国に抜かれています。また世界の中で日本には輸出していない外国企業の商品やサービスなど沢山あります。アジアの各地で手に入るブランド、ゲームなどが、日本の市場は相手にされず日本にだけ上陸していないということはザラです。

学力という面でも同じことが言えそうです。近年、日本の学力はもう世界トップレベルではなく、少なくとも日本の大学は魅力がなく世界から優秀な人材が集まってこないのは事実です。


コロナが来るまで、私はヨガや気功のトレーニングを常々海外で海外の仲間と共に学んでいて、欧米人の学びに対する成熟性には敵わないなと以前から思っていたのですが、最近はアジア勢も凄いなと感心することが多々ありました。普段からよく働き、そして稼いだお金を使ってよく遊び、よく旅行し、よく勉強をするな、という印象で、英語もコミュニケーションも日本人よりよく出来ます。

私の知っているアジア人のヨガインストラクターはみんなスキルが高いのですよね。(たまたま出会った人達だけがそうだとは思えない)ヨガの先生だけどピラティスの先生並みの専門性の高い指導を行なっています。

そしてついにやってきたコロナ禍ではどうもこれは間違いなく日本人が(一括りにしてすみません)怠惰になるのを加速していると思いました。自粛とかステイホームと言われて学びの場に出かけなくなって、オンラインで様々なところを転々と訪れているうちに何か統合性を失った散漫な学び方になっているように思います。

どうもこの状況で、インストラクターが自らやる気を出して計画的にスキルアップを、しかもちょっと本人にとってハードルの高い内容を積極的に行なっていくとは思えないのですね。そうなると、むしろ体系的なスキルアップのプランを”ハッピーセット”のように与えてあげた方がみなさんがよく学んでくれるのではないか、と思うのです。

本来、自分が気の向くまま「学びたい時に学びたい分だけ学ぶ」というのは余程の優等生以外、学習のスタイルとして適切ではないのです。多くの人が自分に甘いですから。本人の意思に任せるとレベルは間違いなく下がります。ある程度のシステム化されたカリキュラムに則って、「あなたはここまでのレベルをいつまでに習得する必要があります!」というハッピーセットを、バーン!と提示された方がやりやすいのだと思います。

そうしなければ、個々人の先生方の努力に任せていては日本のヨガクラスでインストラクターが提供出来るものの質はどんどん差ができると危惧します。実際に何年もブラッシュアップしていないままの資格を謳って古い情報を教えている人もたくさんいると思います。

日本の中にずっといるとそれに気づかないですけどね。英語もできないからなおさら海外の状況がわからない人が多い。

折りしも2022年、五黄土星、壬寅の年。この天地のエネルギーが同じ周期だった360年前の日本を見ると鎖国しています。そして開国前後に人々は日本が欧米列強からどれだけ遅れをとっていたかを知ることとなるのですが、2022年の岸田政権で鎖国中の現在も同じような道を辿るのでしょうか。閉ざされた日本の中で日本人とだけ戯れていて気付けば世界からはどんどんと置いていかれるというような。

そのような状況下で今言えることは、どんな底辺にいても時がくれば直ぐに飛び立てるように、しっかりと学びを積んで準備をしておきましょう、ということですね。







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