あなたの祖先はブッダです

「 あなたの祖先はブッダです」と言われたことがあります。

バリ島がブームだったかなり前、足繁くバリへと通っていて、ウブドの祈祷師のゲストハウスでお世話になっていた頃の話です。

おぉぉぉぉブッダ!

と驚きましたが、安心して下さい。日本人であれば大体祖先はブッダといわれます。

ブッダとは悟った人、ということ。

私たちがブッダと言われて通常想像するあのパンチパーマのゴータマ氏は仏教の開祖であり、紀元前5ないし7世紀頃に実在し、悟りを開き、その教えを衆生に説いた人です。その人が祖先だったというわけではなく、ここで言われる意味は「かつてあなたは悟った人でした」ということです。

わたしたちは皆、悟りの世界から再びこの世へと生まれ落ちてきました。


ところで、今日はそんなブッダの話をしたい訳ではなく。

その祈祷師のことをちょっと思い出したのでした。

ここから話はガラリとバリと祈祷師との思い出に移ります。

この祈祷師はバリの家庭の普通のお母さんです。この人が本当に聖霊と繋がりメッセージを受け取るような能力を持っていたのかどうかはわからないというのが本音ですが、ただ、普通ではないオーラ、パワーを持っている人でした。

実際に彼女にマッサージをしてもらうと、ただならぬ治癒効果を感じます。大きな懐に抱かれて、不調や痛みや苦しみや不安などすべてが穏やかな波と共に消え去るような感覚。そして眠りに落ち、現実とも夢ともわからぬ状態から、南国特有の日差が部屋に差し込むのを感じ、鳥の鳴き声やどこかの水の流れの音を聞きながら安心して目が覚めると、マッサージは既に終わっていて、とてもスッキリしてエネルギーがみなぎっているのを感じたものでした。

彼女を超えるマッサージに出会ったことはなく、あの体験以来、日本やその他の国で受けるどのマッサージも私にとっては商業的で、テクニック重視でとてもつまらないものです。そこにはあの包み込むような癒しの波動がないのです。

ちなみに彼女はそのマッサージのお代のことはいっさい言われないので、こちらが気を遣ってそれ相応の額をお渡しします。しかしそれが相応だったのかは今でもわかりません。なぜならバリ人は一生お金がなくても暮らせるような慎ましい面も持っているし、かと思えば、普通の人が手に入れられないような大金を手にして一瞬で使い果たすような面も持っているからです。

苦労人のお母さんではありましたが、ある時、彼女のご主人が日本人と恋に落ちました。バリ島、あるあるです。周囲が思わず目も瞑りたくなるような大恋愛をしていたそのバリのお父さんと日本人のOLでしたが、そのうちふたりは結婚すると言い出しました。第二、第三夫人に外国人の嫁をもらうというのは、バリではまぁある話です。

そのお母さんは祈祷師でヒーラーでしたし、そういったことは大したことじゃないと言わんばかりの、非常に落ち着き払った態度でふたりのことを受け入れていましたが、そこはやはり女性、ある時から、私にこっそりと苦しみの心の内を打ち明けてくるのでした。

バリ島もその他の世界に違わず、女性の地位は低いです。実際にたくさんの家事や労働をこなし、日々のお金を稼ぎ、家族の世話をし、とても忙しくしているのに対し、男性はたいてい何もせずゴロゴロとしていたり、賭け事をしていたり、たまに浮気していたりするような感じです。

そういうことがバリでは常だから許せるのかといったら、バリの女性の心情は本当はそうではないのですね。当然か。

あの素晴らしく大物感漂うオーラが出ているお母さんですら、「ずっと辛い人生だった」と泣いていました。幼い頃から家庭を支え、結婚した後もこんな風に苦労が耐えない人生で、「あの人はずっとこの調子だった。私は十分尽くした。もう天界へ行くための修行を積んだから私の来世は生まれ変わることはない」と言っていました。輪廻転生終了、カルマは終わった、と言うのです。その後も、彼女の話を聞く機会が何度かありましたが、とても聞いていられたものではないし、気の利いた言葉ひとつ返すことすらできませんでした。

彼女の苦しみがピークに達して行くと当時に、そのふたりの結婚話はどんどんと進んでいき、ついに村の人へのお披露目が行われようとするその矢先、お父さんが亡くなりました。

側からずっとその一部始終を見ていましたが、3人のそれぞれの立場や心のバランスが、その均等が、崩れそうなギリギリのラインだなと感じていました。

その張り詰めた糸を切ったのはお母さんだったと思います。

訃報を聞いた時、あ、お父さんは殺されてしまった、と思いました。

誤解のないように。それは殺人でもなんでもありません。

ただ、人は実際に手を下さなくとも、物理的な行動を起こさなくとも、そのオーラが、その波動がそのような事件・事故を起こしてしまうのです。

私の目にはそれは明らかでした。どう想像しても3人の未来がまったく見えなかったから。

実際にバリでは最も近しい人の手による殺人というのはよくあるのです。兄弟が、夫婦が、親子が、近ければ近い関係ほど、愛していれば愛しているほど、本人に変わり決着をつけるのです。

コーヒーに盛られた毒、大雨の日のブレーキを細工されたバイク。

よく聞く話です。

そういった物理的手段でなくとも、人の感情のうねりというものは本当に何かしらの波動を起こすのだと、というか、それが波動そのものだということが段々とわかってきました。

自分がどんな波動に包まれているか。どんな波動を生み出しているか。この世に起こることはそれが全てです。宿命は生まれ落ちた星で決まり、運命は波動で導かれます。

そのお父さんが亡くなった頃のバリ島は、どんどんと変わり続けていました。ガスも電気もない、だけど心は神を信じ、家族を大切にし、穏やかな暮らしをしていた人たちが、やがて物質的なものを必要とする生活へとシフトし、街には外資が入り込み、人々は経済活動、すなわちお金を稼ぐことを余儀なくされます。

社会の変化に伴って、お母さんは素晴らしい祈祷師であったけれども家族の生活のためにはそれ相応のお金を常に稼ぎ続けなければならなくなりました。訪れる観光客へのマッサージで気持ちばかりのお金をもらった程度ではとうてい暮らしていけないのです。

彼女はお金を稼ぐようになっていくと同時にそのヒーラーとしてのパワーが失われていったように思います。もう以前の彼女ではないのです。

自分自身でその才能を封印したのか、もしくはそのような物質重視の社会の中ではその才能も自然と消えて行くのか。

今も思い出すのは、彼女が日本に来た時に食事の席で少し酔っ払って、私の祖先が降りてきたと言いだし、私にメッセージを伝えようとするのです。

バリバリバー!!!と。

ちなみに何かが降りてきた時の彼女はトランス状態で目つき顔つきが変わります。

日本で街を案内している時など、一緒に横断歩道を渡っている最中に突然トランスしそうになった時は、お願いだからここでは止めてくれ!!と、マジで焦りました。

ちなみに先のバリバリバー!!!は要約すると「お誕生日おめでとう」というメッセージだったんだそうです。一体何語?と思いましたが、それを突っ込むのは野暮です。

そんなこんなの、あれから。

あのお父さんが亡くなった後、あの家の子供たちも巣立って行き、私もバリに行かなくなり。あの人たちはみんなどうしているだろう。

スピリチュアリズムがどこから生まれるのか、それに良いも悪いもない、それがただただ、流れゆく現実だということを教えてくれた人たち。

満月の仕業なのか、今日はそのようなことを思い出すのでした。







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