月と太陽
ヨガで体を整える、という言葉の意味は、筋肉を正しく使い骨や内臓を本来の位置に戻し、血流を良くしリンパを流して老廃物を排出し、呼吸を適切に行う、、、という事だろうか。
そもそも肉体を整える必要があるのはなぜだかを考えたことがあるだろうか?
まだ実体として得ていないかもしれないもの、それは呼吸ともリンクしていて、マインドとして存在している体。そこへと移行していくために、まずは肉体としての体を整える、、、ことがヨガ、ということにしておこう。
もちろんマインドとしての体に移行して終わりではなく、その先にはスピリットとしての体がある。そして更にその先には体はもう存在しない。
これがボディ・マインド・スピリットの階梯である。
だから、解剖学という目線のみで肉体としての層を扱うと、ちょいと危ういことになる。
その危うさは、まさにこれが正解だと思ってしまう中毒性であり、肉体を取り扱う時には起こりやすい。気をつけて。
ヨガや武術など何かしらの修行をずっと続けていると、マインドとしての身体をだんだんと感じられるようになる。その頃から意識という存在に気づき始め、地に足が着くようになる。
さすがにもう何年もヨガでたくさんの人を見ていると、ポーズで肉体ではない体が肉体に重なって見えるような感覚があり、私がアジャスト(姿勢の修正)する時はだいたい理屈ではなく、『違和感のあるところを整える』という感覚でやっている。この肉体ではない体には結構にその人の感情で出来ているところがあり、ここを取り扱うのだけど、このアジャストは長くやってきて自然に身についたひとつの感覚的能力という感じでもある。
同じ人に会うたびに何度も何度も同じアジャストをするのだけれど、最初は何故いつも繰り返しやっているのにわからないのだろうかと思っていた。真面目にやっている生徒さんなのに何年やっても同じミスアライメントを起こしているのは何故なのか。
それはマインドとしての体が肉体をブロックをしている、ということに気づいた。
陰と陽で月と太陽、という話をしたことがある。
月は肉体で、太陽は意識である。
月はいつも私たちを騙しにかかってくる。月はそれひとつでは輝けない。さも太陽と肩を並べて自分も同じように輝きを誇っているかのように振る舞う月は、太陽からの光を借りてでしか輝けない。
『太陽のように輝いている私を見て見て!』と月に踊らされて今日もSNSに自分を投稿する人たちが沢山いるように。
月はまやかし。
そのまやかしのパワーに多くの人が魅せられ騙されている。
月は欠損であるということに気づかずに、その欠損を一生懸命に埋めようとして埋められるわけもなく、『まだ足りない、まだ完璧じゃない』と不安を抱く。
肉体を本当の自分だと思うから、何をやってもいつまでたっても満足がいかない。
ヨガのポーズの正確性はとても重要だが、また同時にポーズに囚われていては危ういまま。
太陽こそがあなたの本質だ。
それは意識。
もちろん意識にも段階がある。
(だけど多くの人が顕在意識で生きているからこれもちょっと月っぽいよね。)
意識への道は自己の本質へと帰る旅。
しかしながら自己の本質の欠片すらも掴めぬまま、物質から物質へと興味関心を移行する人は少なくない。次から次へと飛び回るのは、人生がさも充実しているように感じるかもしれない。やりがいを感じるかもしれない。『今の自分にはこれが必要』なんて思っているかもしれない。
そこには今の自分に本当に必要なものなんて何ひとつもない。まさに問題を見ないように飛び回っているだけのもの。
むしろ、やりがいなんて感じなくなってきたら本質に近づいてきた証拠だ。
外見や形ではなく、見えないものを見ること。
心が躍ること。感謝の気持ちが湧き出ること。それがもし10年続いても湧き出るのなら本物かな。数ヶ月、数年しか続かないようならまやかし。
本質へ帰ること。これが私自身が取り組み、世間へと伝えたいこと。
この世には地に足がついてない人だらけだから、ストレスの多い取り組みなんだけれども。だけどそこには魂のご褒美は確実にある。
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