霊的存在の心包と三焦
現在、Yin Yoga Japanのオンラインメンバーシップでは陰陽五行を特集しており、今月は心包と三焦を特集している。
この心包と三焦、存在しない臓器と言われて久しい。古くは2,000年前の医学書にも『有名にして無形』と言わしめている。
わたしはヨギとして、修行者としての目線で長年この二つの臓器を見てきたが、いよいよこれらは、人が肉体から魂への階梯を登る過程で働いていると思えるのである。
治療家であれば、心包は心臓を保護する役目であり、三焦はリンパ系として毒素を排出する役目、と捉えるかもしれない。
心包はまぁ、わかる。
だけど、三焦は、修行者としてはリンパ以上の働きを持つのではないかと思う。
近年、三焦はファシアだ、との説も出てきているが、わたしにとっては名前のインパクトが大きい。
日本語は「三つの焦がす区画」を意味するが、わたしは英語でTriple Burner とかTriple Heaterなどと習ってきた。どちらも温めて熱を生むものである。そしてヨガを学んでいくうちに、人の悟りへの階梯は水から火のエレメントにあることに気づかされた。
三焦がファシアなら、それはまだ温められていないただの水である。
人のエネルギーが変革を起こす時、その最もたる火は腎臓から心臓へ上昇するものなのだけど、三焦は常にそのサブ的働きを持つ。
道教では人の体は、精(肉体)→ 気(エネルギー)→ 神(スピリット)の三層でできていると考える。ちなみに三層だからといってたった3回の行で達することができるわけなどなく、何億回のレベルで生まれ変わり、こころの鍛錬が必要とされる。
しかしながら、その修行の過程では、スピリットの方からは肉体へはアプローチできない。常に肉体からのアプローチなのである。
なんだか面白いことになってきた感じがする。
続きは複雑になりそうなので、まずはメンバーシップで述べてみよう。
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