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シャクティ 目覚めの時

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  先日改めて驚いたことがあった。 8月に日本での気功オンラインクラス開催にあたり、しっかり復習をしておこうと、海外の先輩のプライベートレッスンを1回1時間申し込んだら、そのレッスン費が27,000円を超えていた。 これは日本で私が全5回を指導するクラス費とほぼ同等。 この20年、日本の外の国々では給料も物価も上がり続けているというが、まずそれを感じているし、おまけに今起きている円安により、これまでより海外の製品(受講料や旅費なども)が単純計算しても1.4倍かそれ以上に上がっているのである。 つまりは10,000円だったものが14,000円、20,000円だったものが28,000円、30,000だったものは42,000円。 思い切って一回参加しました〜!...ならばともかく、学びの場が常に海外という私のようなフリーランスには大変なことになる。 恐ろしいことである。 こうなってくると、海外へ出て学ぶことはおろか、海外のものを取り入れることにだんだんと躊躇していくのではないか。 海外の情報が高くて手に入らないと、日本は日本の中だけで発信して受け取るようになる。 The・鎖国。 未来に蓋を開けてみたら、とっても遅れた国になっていた、とか夢じゃない。 そのような暗雲たる気持ちにさせる一方で、 もうそれはそれでいいんじゃない、と開き直る気持ちも起こる。 日本の中で自給自足して物や情報を回す。 日本の中で勉強して学ぶ。 需要も供給も国内で。 そしてそれはフリーリーに。 ある種の共同体のようなユートピアのような社会になるかもしれない。うまくいけばだけど。 縦割りな社会とか、役人とかリーダーとか企業とか組織とか、要らないんじゃない。 それがなくなって困るのは男性原理的なところでしか生きられない人たち。 女性原理的であれば(女性が、と言っているのではない。男性の中にも女性の中にもある女性性)権力や規則で人を支配したりせず、思いやりと優しさで助け合うだけ。口汚い言論で他を罵って自分の力を見せつけようとせず、愛がその人を大きく見せるだけ。解決を望まず、共感するだけ。 そんな優しい社会になるかもしれない。 今ある男性原理的な社会はいよいよ終焉に近づいているんじゃないかという気がする。 物事の終わりには膿を出し切って、相当な混乱があった上で着地するだろうと。 陰極まって陽だから、とこ...

三つの宝

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  道教は、人生は三つの宝の形成であると述べました。 精・気・神これらの三つの基本的な生命の根源は完全に量子化されるか、または生まれた時に完成します。私たちが年を取るにつれて時間の経過とともに私たちを死に至らせるべく衰え、枯渇する三つの側面です。 ハタヨーガは、アーサナ、プラーナーヤーマ、ムドラー&バンダ、およびサマーディの実践について述べました。これら四つの側面は、道教の精・気・神の考え方にうまく適合しています。 アーサナにおけるムーブメントは肉体のトレーニングのためではなく、精の育成のためのものです。精は生命の基本材料で、生命を調整し管理する幹細胞、体液、血液、ホルモンなどの概念が含まれています。ムーブメントの練習と共に、私たちは生命を維持するためにその循環と生産を増やすことによって精を育成します。 道教はまた、神に向かってアクセスするために精が気に変わることができると信じています。プラーナーヤーマ、ムドラー、バンダの操作です。それは呼吸と共に肉体的なレベルで働き、それは結局人が止息を見出すことを導きます。呼吸が止まった瞬間、本当の気(プラーナ)が生きてきます。だからこそ、ハタヨーガは、マハームドラー、マハーバンダ、マハーヴェーダ、ケーチャリームドラー、ヴァジローリームドラーなどの重要なムドラーを明確に述べています。ムドラーでハタヨーガは気を封印するだけでなく、気を意識(神)に結びつけました。道教の錬金術は気と神の統一を達成するために体の中央の経絡に沿って気を周回させることによって働きます。彼らはまた十分な気が神の明瞭さにつながると信じています。 気がいっぱいになるとマインドはエネルギーでいっぱいになり、サマーディが起こるためにはこれが必要になります。 ハタヨーガでのムドラーの育成は、人を「鍋」(クンバカ)として体を満たすために導きます。道教ではまた、体を鼎にするという同様の考えを持っています。 本質的に意識を養うために生命のエッセンスを純粋な気に変換するための道具 - このように、サマーディは自然に起こります。もしサマーディのパワーを持っていなかったら、マインドを養うものは何もなかったことになります。鼎の火からの純粋な気だけがマインドの糧になることができるのです。 多くのヨガティーチャーたちは、身体的な操作についての考えに限りがあり、それがもっと重要な...

ヨーガは自分の内側を見つめないし体にも意識を向けない

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  イーロン・マスクやジェフ・ベソスらがこぞって宇宙へ飛び立ち、近年、資産家たちの次の投資対象は宇宙に向けられているようだ。人はお金が有り余ると最後は宇宙を求めるしかなくなるのか。そもそも宇宙は人の原点回帰 なのだと思う。 タオ、道教の世界では天界に行くには、肝臓の持つ「魂」のエネルギーが必要だとされている。事実、魂というのは霊的なもの、微細な高次の意識の表れとされ、高次なレベルのエネルギーだ。タオのトレーニングを積んでいく過程で、魂は強力になり、神(シン)を乗せて天界へと旅立つ。 一方で肺の持つ「魄」は非常に物質的で低次なレベルであり、地に引き付けられる。この魄は自己中心的で、世界という大きな規模でものごとを見ることができず、宇宙の采配による人や物の関わりや結びつきといった、大局的なものの見方ができない。それは肉体と繋がっていて、死んでもこの地上を離れることができず、死んだ後も地に埋まった骨の中にいる。 前回のガンダム・ネタでも話したけれど、この地球では重力というものにより、人は身体が重く感じられ、地にひきつけられ、より物質的な自己としての存在感が増す。故に、体が重たい、頭が重たい、ここが痛い、あそこが苦しいなどと、さまざまな不満や不調を述べる。そして快適な肉体への欲求が生まれる。 要は地球にいると自己中心的になりやすい、ということか。自分の意識や身体に目を向けるということは一見素晴らしいことだけど、同時にそれはどんどん外の世界が見えなくなっていき、自分さえよければといった利己的な考えや執着を生む。内向的な人ほど神経質になりやすく、神経症に罹りやすいという説もある。 タオではこういった低次のレベルの魄のエネルギーでも、高次のレベルの魂へと昇華、変換していくことができる。 魂へと昇華するには、いかに身体を手放していくか。感じなくなるか。ヨーガやタオのトレーニングはその身体の感覚を手放していくトレーニングと言える。 しかしながら昨今のヨガクラスでは過剰なまでに身体へと意識を向け、身体のさまざまな部分をしっかりと感じ取るように促される。 もはや、正反対では?? 身体に十分意識を向けたら手放そう。 複雑な呼吸ができるようになったら自然な呼吸に戻そう。 作用があればそこには反作用が存在する。 ということは、常に行きたい方向とは真逆の方向へ行こうとすることが目的地に辿...

重力の縛り

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 – 地球に住む人々は、魂を重力に引かれて飛ぶことができない – 先の名言はアニメ「機動戦士 Zガンダム」の中のクワトロ・バジーナ(シャア)のセリフである。 重力は人を危うくさせる。 地球にいる以上は、重力に引かれる。自己の肉体のその重みを感じる。 故にあれだけ時代が求めた寵児だったアムロも、一年戦争の後グダグダになってしまうのは、戦争で大切な女性を失ったトラウマを、重力がさらに重く追い打ちをかける心身の不調だったのだと思える。 肉体があるところに執着が生まれ、執着が人を堕落させる。 重力は人間にとって罪深いもので、故に人は悟りに至れないのかと思うこともある。 身体は軽くもっと自由になっていいのかもしれない。 ちなみにシャアの名セリフその2 – 地球に残っている連中は地球を汚染しているだけの、重力に魂を縛られている人々だ!–    「逆襲のシャア」より 重力に対する反作用を起こして自由な身体を手に入れれば、執着は手放され、自己の解放へと向かう。 理想論だけれども。

ホモ・サピエンスよ、腹を括るべし

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最近、サピエンス全史という書籍を紹介され 、なかなか面白いことが書いてある本だなと興味をそそられた。その中に、チンパンジーから猿人へ、更にそこから大きな脳を持つホモ属へと進化したヒトの、およそ600万年前から30万年前までの過程が描かれており、何を食べ、咀嚼をし、やがてそこから火を使うことでエネルギー消費が変わり、火や道具を使うことでの複雑な社会構造というものが明らかにされていた。故・大森秀櫻先生が日本で三十年以上も前に、ヒトの進化について、「我々の祖先にあたる猿人だけが禾本科の実を食べてくれたお陰だ」と講演されていたことを思い起こさせた。 故・大森秀櫻先生の凄いところは、さまざまな病人を自宅に住まわせ、あるいは病人のもとへ訪問し、先に述べた「ヒトを誕生させた食物」というアイデアと「陰陽」というものさしを用い、食養指導を行い治療したことである。 一銭も貰わずに。その指導の数は1万人を超える。 きっかけは師匠の桜沢如一先生が「大森くん、二千人の病人を指導してみなさい」と指示されたことからだとか。 その病人たるや、癌、白血病、糖尿病、脳溢血、緑内障、自閉症、胆石、難聴、メラニン色素欠乏症、アレルギー、アトピー、、、などさまざまで、その中には医者に匙を投げられた病院患者や、大物政治家、芸能人まで多岐に渡っている。 私は大森先生の時代に少し遅れてこの世に生まれたので、大森先生のお弟子さんたちが作成した大森先生の講義録の数々、書籍やビデオ(DVDのなかった時代)を貪り、ショックを受けたことを覚えている。その治療の記録そのものが衝撃的だったが、それよりも大森先生の食養指導に対する姿勢そのものに、自分がこれまでの人生で勉強したと思っていたことの全てが薄っぺらく無責任なものでしかなかったと気づかされたことのショック。本当の学びとは目の覚めるような喜びと共に、腹の底からの正直さ、まずは自分自身に対して嘘偽りのないことだと気づいた。その後、縁あって 奥様の一慧先生の料理教室に参加することができ、そこでまた実体験の重要さを知った。 大森先生の病人指導は、この宇宙の根源であり、全てを包括する陰陽論を用いているとはいえ、それは神がかりで、 当時、「あなたの癌を二週間で治す」と言って指導にあたり、本当に二週間で治したり、人や社会の未来を予測したり、大森先生の講座に参加していた人の会ったこともな...

ひとりのススメ

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人は本来ひとりでいるもの。 世の中の大切だと思えていることの多くが実は雑音でしかないのかもしれない。最近、雑音から離れて極力ひとりで過ごすことに努めている 。どんなことに対しても、とことんひとりで思考を追求して答えを出すというプロセスを辿ってみると、ムクムクと自立心が芽生え始める。最初は全ての選択肢を自分だけで選び取っていくというプロセスに少しの不安も覚えたが、だんだんとそれは確信に変わり、それはある種の無為 にも近く、瞑想的でさえある。これまでいかに人と一緒にいることで見過ごしていたものがたくさんあったのだろうかと、ひとりの力を鍛え磨かれている。 巷では孤独力、なるものが流行っているらしいしね。 (ここで、Lonely=寂しくしている孤独と、Alone=ひとりでいる孤独は、違うということを定義しておく。) ひとりでいるということは、まず向き合う相手は自分のみ。何でもひとりで解決しなくてはいけない。日々の楽しいことも、イライラすることも、思わず誰かにシェアしたくなるような出来事も、自己の中で消化するのみ。(こうなってわかるが女性はとにかく感情で喋りすぎ。)何かしらの特殊事情や緊急事態が発生した時にどう行動するのかも、常に信頼すべきは自己の判断のみ。先ほど述べた、選択肢は全て自分で選ぶ、ということ。 失敗しても責めるのは自分、だ。 やり続けてみて、これはかなりの心の修行だと気づいた。こんな修行を完璧に成し得ることが出来るんだろうか? と問うてみて、実は既知の事実であったことを思い出し、ちょっとした衝撃を覚える。 人はひとりで生まれてひとりで死ぬと言うが、確かに私は、母親のお腹の中にいた十ヶ月近くはずっとひとりだった。 胎児と言っても、人としてしっかりと神経系も循環系も消化器系も発生しながらそこにいるので意識も感覚もある。お腹の中で具合が悪い時もあったかもしれないし、母親が怒ったり泣いたりすれば、その動揺は私の心にも伝わっただろうし、それでも誰に縋るでもなく、あんな小さな存在がじっとひとりでお腹の中で、全てを請け負って外に出る時を待っていたわけである。 遂に母のお腹から出てくる時には、自分はどうやって出て来たんだろうか。ちゃんと天地のタイミングを知っていて、よし、出るぞ、と決心して何時間もかけてひとりで出て来たんだなと思うと、我ながら本当に感心する。もちろん母と一緒に頑...

チェックメイト

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彼女はそれをチェスのゲームのようだと言った。理由がわからないまま駒の動きを見ている、とも。 言い得て妙で、これはさもゲームのようである。 駒は自らの意志で動いているのではない。 彼女はそれを冷静に眺めている、と言った。 確かに、世間は余りに駒の動きに一喜一憂している。 彼女の話に続き、今度は私の持論を話した。 この世の事象は全て陰と陽で成り立っているが、その世界を表面的にしか理解していなければ、こちらが陰であちらが陽、といった見方しかできないかもしれない。 もちろん今起きていることはどちらが陰でどちらが陽などという単純なことではなく、そもそも陰陽論はそう薄っぺらいものでもない。 事の行方は、大どんでん返しが起きた上に、更に大どんでん返しが起こるだろう、と予測してみる。それは数年前から、数十年前から、いや数百年前から示唆されているように。 これらは全て地で起きていることであり、そしてそれは天のエネルギーによるものだ。陰陽論で説くならば そのようなアスペクトで見るべきだろう。 大どんでん返しが何度も繰り返された挙句、この地に既存の政府や金融や通貨の崩壊といったことが起き、全く新しい世界になったとしたら? 全ては天から供給されるもの、天の采配によるもので、そしてそれは今どきの言葉を借りて言えば、 風の時代、ということになるのだろうと思う。 現在は時代の移行期で混乱と混沌に満ちた状態であり、大きな痛みを伴う時。抜け切った先にこそ風の時代がやって来る。 今だけを見れば目眩しにあう。 目を開いて、未来はどう見える?