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2026年 火と水と

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 初春のお慶びを申し上げます。 2026年は、強い火の勢いと、静かな水の流れという、相反するものが重なる特別な年です。 干支の丙午(ひのえうま)の「丙」と「午」はどちらも陽の「火」。 前の季節に芽吹いたものが一気に開花・頂点へ達する、太陽が真上に輝く正午のようなエネルギーです。   そう聞くと、何か行動を起こさなくては!という気持ちになりますが、ちょっと待って。 一方で九星学では一白水星(いっぱくすいせい)という「水」の年なんですね。 水というのは流れるもの。また水蒸気となって見えないものを意味します。 つまりは、動きたいけれども、表に見えてないものや流れを読んで、準備をしっかりと進めた方が良い。 小さく始めてコツコツと続けること、やめない選択、これが丙午の「火」と一白水星の「水」を生かします。 さて、陰ヨガ的にはどう見ましょう。 わたしはすぐにピンときました。 「肚の底にある火(アグニ)を耕し、水蒸気(プラーナ)を全身に巡らせる」年。 火は燃やす力、水蒸気は浄化と循環の力。   この両方を同時に扱うのが、まさに本格的なプラーナーヤーマの領域です。 伝統的なハタヨーガではこのプラーナの流れをもって、身体の強力な浄化を行います。 最も浄化が必要なのは、肉体以上に、微細体、つまりはわたしたちの頭の中、思考とか感情とか思いなんですね。 この思いや意志こそがわたしたちの呼吸の質を決定しますが、常々、凡夫のわたしたちの脳では、プラーナを詰まらせる思考ばかりで汚されているのです。 実践が一定のレベルへ到達した真のヨギではそれらが浄化され、思考が止まり、ゆえに自然と呼吸が止まるという「ケーヴァラ・クンバカ」の状態が起き、プラーナの流れもコントロールされた状態となります。 ハタヨーガ・プラディーピカ(2章75節)にはこうあります。 『ケーヴァラ・クンバカに成功すれば、ラージャ・ヨーガの段階に達する。それは疑いのないことである。』 ケーヴァラ・クンバカ――   これは意図的に息を止める(サヒタ・クンバカ)ではなく、   思考(ヴリッティ)が完全に静まり、呼吸が自然に止まる状態。   エネルギーが中央軌道を上昇し、覚醒する瞬間です。 ヨーガ・スートラ(2章51節)でも「第四のプラーナーヤーマ」として示唆され、   プラ...

ヨギ的中医学の利用方法

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11/25メルマガより 今日は中医学のお話です。 進化した陰ヨガで学ぶ中医学は、その他で学ぶ中医学と何が違うのでしょう。 どんなアイデアを持っているのでしょうか。 五行や経絡の知識は、陰ヨガのアーサナを行う上で非常に重要になるアイデアですが、しかし、これを学ぶときに、身体の悪いところを治すといった、何かしらの治療的アイデアとして学んでしまうと、罠にハマってしまいそうです。 陰ヨガの元となるハタヨーガは、それ自体が強力なパワーを生み出す「力」のヨーガです。人間が、ただ肉体的に健康になったり不老長寿になったりするだけでなく、霊的にも成長し、カルマを解消し、最終的にはあるがままで幸せになってゆくことのできるヨーガです。ここに治療としての病気治しのアイデアを宛てがってしまうのは、何かが足りず、何かがちょっとズレているのです。 なかなかわかりやすい例が思い浮かばないのですが、とりあえず挙げてみましょう。 例えば、日本人は国民的カルマとしてマニプーラ・チャクラが弱いと言われます。 確かに他の国の人たちと比べると、胃が弱い人が多いのです。(もっともそれは昭和までのことだったかもしれない。今、日本人が抱える弱さはバラエティ過ぎて、胃だけに止まらないくらい日本人の身体が急速に病んでいる) マニプーラは中医学でいうと、土のエレメント、脾胃がそれに相当しますね。 いわゆる食が細くて痩せていていつも胃がシクシク痛い人、もしくは過食したその後に胃腸が苦しくなる人、ひとことで不調と言ってもさまざまですが、そのような不調が起きた場合、これが中医学であれば、鍼やお灸で治療をすることになるでしょう。 この鍼やお灸は非常に優れていますが、それでも対処療法に過ぎません。 これがハタヨーガであれば、鍼やお灸を使わずに自身の身体をトランスフォームさせて、病気をも治してしまうこともあるのです。 また、わたしのような大飯食らいの過食の人、これは一般的に肝のしわざですが、このように肝のエネルギーが強いと、相剋の関係として、脾胃を攻撃してしまいます。 わたしは胃が痛くなったり胃腸炎をおこしたりしてからやっと、あぁ食べ過ぎたのだな、と気づくことがよくありました。この肝もマニプーラに相当します。 ハタヨーガには、胃が弱くとも消化の熱を生み出せる、そんなテクニックがあります。(ニードルもやっとこうね) それから、胃腸炎で...

正身端座で迎える2026

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11/14メルマガより 本日のメルマガでは日本のレジェンドのひとりをご紹介したいと思います。 日本での第一次ヨガブームを担った佐保田鶴治先生のお師匠さんに、岡田虎二郎という人がいました。静坐による心身修養法を生み出した人です。 ちなみに日本では明治から昭和にかけては数々の健康法が生まれました。マクロビオティックの基となった石塚左玄なども明治の頃に活躍した人ですし、合気道の創始者、植芝盛平も明治生まれです。この頃の日本というのは健康になって新しい日本を作っていきたいというパワーがあったのだと感じます。 この岡田式静坐法の実践者には徳川慶喜、渋沢栄一、宮沢賢治、田中正造、坪内逍遥...など、錚々たる著名人がたくさんいらしたようです。 虎二郎の静坐で行う呼吸は、日本人ひいては東洋人の呼吸の基礎ともいうべきか、吐く息に重きをおきます。みずおちを落とし、腰を立て、静かに鼻から息を吐きながら臍下丹田を凹まし、十分に吐き切ったら吸う息は自然と入ってくるという、まるでわたしたちが陰ヨガの練習で行っているような呼吸です。 最近、進化した陰ヨガではこの下丹田の位置を公式に再定義しました。インドのチャクラに置き換えてみると、やはり同じ箇所がエネルギー的に同じ働きを持ち、このエリアにあるカンダスタナという球体から、肉体全体をコントロールするプラーナがより高い次元から流れ込み、肉体にふさわしいエネルギーに転換されて全身へと流れ、肉体が生命を保つことができると言われています。 たとえば虎二郎はチャクラのことはご存知なかったかもしれませんが、三昧へと至る過程で当然その存在を感じる体験があったであろうことは想像に難くありません。 この虎二郎が49歳でなくなる晩年、尿毒症を煩いながら、血を吐こうとも、40度の高熱が出ようとも、ひたすら静坐をして講義をしていたというのですから、現代の軟弱なわたしたちからしてみれば、凄いとしか言いようがありません。 心身修養法を人々に伝えながらの病ですが、それは極端に短かった睡眠時間のせいだと言われています。寝る間を惜しんで精力的に活動なさっていたのですね。 先だってのメンバーシップでお話しした道元禅師もそうですが、「病があっても、身体が痛くても、それがどうした、坐り続けなさい」ということだと思うのです。 わたしは常々実践が大事だ、ということを念頭においています。 いく...

演出ではなく本質を

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  前々回のブログ(もう8ヶ月も前になるのですが)、「黄金の方程式=8時間」でピアニストのヤブちゃんのことを書きました。 そのヤブちゃんが、現在開催中の第19回ショパン国際ピアノコンクールの地、ポーランド国内にて、審査員として発言したインタビュー内容が物議を醸している様子です。 翌日には日本のスレッズなどでも話題になっており、ちょっとした炎上?のようになっています。 ところで、ヤブちゃんなどと気軽に呼んでおりますが、このクシシュトフ・ヤブウォンスキ氏、世界的権威のピアニストで、前述した通り、ショパン国際ピアノコンクールの審査員でもあります。いつも彼のことについてはたくさん語っているため、今回ここでは彼の華々しい経歴は省略しますが、とても素晴らしいピアニストです。(経歴は、華々しいというよりは、地位や名声に魂を売らなかった堅実な、といった方が相応しいのかもしれません。) 先月の大阪万博にて、ショパンの祖国であるポーランド開催のショパンガラコンサートでの演奏のために来日していたヤブちゃんにお会いすることができました。万博でのコンサートを終えた後日、広島でリサイタルがあり、その日、楽屋に招待していただきました。 もちろんわたしが楽屋に案内されるに相応しい立場だとは全く思えません。ピアノ関係者でもないし、単なるファンで昔からの知人、というだけです。要はヤブちゃんという人は、いつでもどこでも誰にでも分け隔てなくとても優しいのです。ステージでのヤブちゃん、そして楽屋でお話しをしてくれるヤブちゃんは、本当に背中に天使の羽が生えているのではないかというくらい、違う言い方をすればくまのプーさんのように(失礼)優しくて、紳士で、穏やかで、同時に情緒的で、魅力的で、実際の彼に会うと誰もが、その天使のような汚れのない優しい笑顔に魅了され、彼のことを大好きになってしまいます。 そんなヤブちゃんが唯一、辛辣になってしまうのはショパンに関して。あんな虫も殺さないような顔をして、とても厳しい審査員になります。 今回のインタビューでは、コンクールでの演奏者の、演出された(過剰な)パフォーマンスについて、ピアニストとして自分を売るためというのが目的のようなコンクールへの出場目的、ショパンの楽譜の解釈の甘さや、その表現の不適切さ、、、およそ、そのようなことを話されていたようです。(動画は探せまし...

ヨーロッパで見つけた布施と日本の布施について

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今日は暖房が要らないくらい暖かくなってきた3月のある日。 先日の寒かったオランダでのことを思い出す。 今回のオランダへの旅は、現代社会においての『布施』ということを終始考えさせられた、そんな旅となった。 オランダへは気功をやっている仲間、仲間といっても過去に会ったのはたった数回の間柄ではあるが、に招いていただき、陰ヨガのワークショップを行った。 わたしを呼んでくれたのはオランダ人の男性と中国人の女性のカップルで、デン・ハーグで鍼灸院を営んでいる。 築100年とか、そんな古いビルを改装しておしゃれに住んでいるのがなんともヨーロッパらしい。別に彼らはおしゃれに住んでいるつもりはないと思うが、いつもヨーロッパに行く度に、日本における自国の文化や伝統を一切考えない建築物や街づくりを残念に思う。 住居のことはさておき。 この治療院では週末の陰ヨガのワークショップと、その前夜祭として、日本についてを語るカルチャーイベントが開催された。 そこでの温かく、かつ興味深いエピソードもまた、別の機会に語らせてもらうこととして。 今日伝えたいのは『布施』という行為について。 実はこの合計3日間のイベントで、数名ほど参加費を払わなかった人がいた。 この人たちは、それなりに払えない理由があったのだけど、どうしてもこのイベントに参加したくて来てしまった人たちだった。 主催者でもある治療院のふたりは、彼らに支払いを求めなかった、どころか、帰り際に、躊躇しつつもやっぱり払おうとした女性に、そのお金を優しく突き返した。 参加者の支払いは基本的に、スタジオの隅にカゴが置いてあって、そこにお金を置いていくシステムになっていた。 恐らく普段は、カードで支払ってもらうことが多いと思うが、今回はキャッシュで、という方針だった。 聞いてみると、彼らはこのように何らかの形で他人に施すことをしょっ中やっているらしい。時には治療費をもらわないこともあるし、食事を提供しても食事代をもらわないこともある。 今回の3日間のイベントは主催者としての取り分はゼロで、その上でワークショップ参加者には自腹で手作りのランチやディナーの飲食を提供していた。 まるで菩薩のようだと思ったが、もちろん彼らも、これまでには穏やかでいられないことも多々あったそうだ。 治療院のイベントでは、「わたしが食事を提供するからみなさんもよろしければ何か一品...

黄金の方程式=8時間

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先日、サム&チョンレ夫妻から、 昨年より再びギターを手に取ったわたしへ、 このようなメッセージが送られてきた。 「部屋で8時間は練習しろ」 「友達をなくすまで出掛けるな」 「酒は有名になってからだ」 「俺を信じろ」 なんとも2929しいメッセージ...  こちらの強面さんは、アメリカの超有名メタルバンドのギタリスト、ミック・トムソンさんというお方。 強烈な見た目もさることながら、このメッセージの濃さにどこか親和性を感じると思ったら、調べてみるとトムソン氏は蠍座だった。 こういう、”大好きな酒も飲まずに部屋に閉じこもって修行してたら、ぼっちになってた”  ”そんな俺を信じてくれ!” なんてことを言い出すタイプは、だいたい蠍座だ。 いやでも、この8時間というのがミソで、 8時間とは、どの分野でも共通する方程式だと思える。 クラシックピアノ界では、ピアノ界の登竜門であるショパンコンクールで入賞し、その後も輝かしい経歴を重ね、現在はショパンコンクールの審査員でもあるポーランド人のピアニスト、クシシュトフ・ヤヴォンスキ氏(知人です、というのがはばかられるくらいの存在)が、数年前に、季節のご挨拶だったか何らかの用件でメッセージをやり取りしていた時、『今日は今からスタジオで8時間練習するよ』と返信をもらったことがある。ちなみにこの発言は彼が50代を過ぎてからのこと。 50代のその道のプロフェッショナルが、いまだに8時間も練習するという驚愕の事実。 確かに、例えば、50代でこそないけれど、サッカー界のトップに立つクリスティアーノ・ロナウドも、チームの誰よりも練習量が多いことで有名だ。チーム全体でトレーニングを始める4時間前から先に来て自主練をしているという。終わった後も居残りをして、帰るのも誰よりも遅い。若い頃はガールフレンドを取っ替え引っ替えのロナウドだったが、もし練習後に早々にコートから去り、もしくは朝カフェで、彼女とまったりしていたら、現在の彼は存在しなかっただろうし、バロンドールなんて夢のまた夢だっただろう。 みんな派手に見える人たちだけど、結構地味にやっている。これはきっと間違いのない方程式で、本当に上手くなりたければ、このくらい練習すればいいんだろう。 多くの人が、そこまでやらずに諦めている。 『もともと才能がないのにたくさん練習しても無理では?』 こういう話をすると、...

帰依と疑念

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先日のメンバーシップで、何かしらの学びや、会得することに対して、対価を支払って購入するという「お客様」感覚でいると、その学びは必ずや疑念を生む、という話をした。 それがショッピングであれば 、どんなに必要なものを買ったとしても、それは今の自分の欲望を満たすための行動であるし、購入したものが、自分の希望、欲望、ひいてはエゴに叶うものであって欲しいという大前提がある。だから、購入したものが自分の思いと違っていたり、自分の欲望を満たさない、どころか不快な思いすら突きつけてくるものであれば、返品したり、捨ててしまうかもしれない。もしくは間違った買い物をしたと、ずっとモヤモヤとすることだろう。 わたしはどちらかといえば極端な考えの持ち主なので、何かを会得したい、学びたいのであれば、そのようなショッピング感覚では、何も得ることはできないと思っている。なぜなら、その感覚では、自分にとって心地の良い内容は受け入れるが、いざ成長の機会が訪れ、辛く苦しいターンに入ると、「この教えは正しいのか?」「この先生は信頼できるのか?」と疑念が湧いてくることは容易に想像できる。この疑念が起きると、その学びは必ず失敗に終わる、と思っている。 そのように、学びに対して古風な考え方を持っているわたしが、昔、仲の良い友人(外国人)に「あなたのヨガはどうせ主婦の遊びでしょ」と言われたことがある。その当時のわたしは、毎年のようにいくつかのトレーニングを受け、暇があれば書籍や動画で学び、自主練にも励み、仕事としてもヨガ一本だっため、「なぜにそのようなことを言われなければならないのか? 舐めてるのか?もしくは友達と思っていたがそうではないのか」と考えた。 ちなみにひとつ言わせてもらえば、わたしは主婦ではない。が、今にして思えば、自分は本気でやっているつもりでも、遊びのレベルだったのかもしれないから、その友人の突っ込みは真実を突いていたのかもしれないね。(ひょっとして今も遊びに毛が生えた程度のことかもしれない) ヨーガを、もしくは今回の人生を、それが修行だと思えば、辛く困難なことがあったとしても、それは自己を成長させ、魂を浄化させるためのものだと、受け入れることができる、かもしれない。 事実、歴史上の聖人たちはそのような修行を経て悟りの道へと至った。 もっともわたしたちには、そのような悟りの道を歩む気概はさらさらな...